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犬も歩けば穴に落ちる
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数日前、ひとつ年をとりました。
なんとなく今年度の日記(ワタクシ用)を読み返していたら、「じゃがいもの皮をむいてレンジでチンしたらちゅうちゅうと鼠のような声で鳴いた」とか「赤ん坊って肉の塊なのだと思った」「ミクロネシアの船を触りながら海の質感を考えたら恐ろしくなった」とかばかり書いてあって、読み返すとこのひとは何を考えて生活してたんだろうなぁと不安になります。
もっと前の日記には「またやっちゃいけないことをやってしまった」「もうしにたい」「自分とちゃんとむきあわないと」とか書いてあって、それもそれで、やたらとナマナマしいかんじで気持ち悪いです。
年をとるごとに、いろんなことが分からなくなります。
ものを見るってどういうことだろうね。
ものごとがどんどん分節化してくる。瞬間が静止するようになるから、断片としか見えなくて、その先も後もよく飲み込めない。
意識のレベルがどんどん低くなっていく。
根源的なのかもしれないし、どんどん単純になっていってるのかもしれない。
いままで森を見ていたのが、木を見るようになり、葉を見るようになり、葉脈を見るようになる。そのうち細胞をみるようになって、分子を見るようになって、ますます訳がわからなくなるかもしれない。
そう考えるとちっとこわいね。
2009.09.03 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
ちょっと友人と遠方へ行っていて、帰ってきたら部屋の壁に貼ってあるアンディー・ウォーホルのポスターが剥げていた。
剥げて、ベットにのっていたカエルの人形型ティッシュケースに貼り付いていた。剥ごうとしたら、カエルの肌ごと剥げそうになった。なので、怖くてそのままにしている。
ティッシュボックス兼カエル人形だったうちの子は、テイッシュボックス兼カエル人形兼アンディー・ウォーホルになってしまった。なんだかよくわからない。
「art is what you can get away with」と書かれた後ろに、手で顔をかくすウォーホルの写真がプリントしてある黄色いポスター(30cm四方)を尻につけたそいつは最早、カエルでも、ティッシュボックスでも、ポスターでも、ウォーホルでもない気がする。
じゃあなんなのかといえば、該当するものをしらないので、なんとも言えない。知らないものや、よく分からないものになってしまったものは、何者でもなくなってしまう。何者でもないものは、不吉だ。知らない世界から来たのだという気がする。危険な香りがする。なによりどう使ったらいいのかわからない。
うちの謎の物体になったカエル・ウォーホルはいま机の上にいる。机の3分の1を占領してたいそう、おおいに邪魔なのだけれど、上記の理由で、そのままずっとここにいる。
漫画をあげられる目処が立たないので、小説を書いてみたんですが、ここにアップロードした瞬間に消えました。
無念。無念を形にしないともっと無念かな、とおもったので無念記念に日記を書いてみました。
この無念を思い出のよすがとし、無念をまだ忘れていなかったなら、そのうち、また書こうと思います(宣誓)
2009.08.26 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
箸や、スプーンがいなくなった。
いままでにもハガキやプリントや色鉛筆なんかがなくなる家ではあったが、毎日三度三度(ではない時もあるが)つかう食器類がなくなったのははじめてである。
なにかがわたしの家に住んでいるのかもしれない。
前に読んだマンガでそんな話があった。
包丁やお茶碗をそっと家主からくすねてきて、それをつかってままごとのように人間であったころの生活をなぞる妖怪の話だった。
だからわたしの家のベットの下や本棚の後ろや天袋の上には、実はもののけが住んでいるのかもしれない。住んでいてひっそりと家庭生活を営んでいつのかもしれない。
もしそうでなかったら、ただ単にわたしの生活スキルが致命的なほどに低下してしまったということになる。それよりは妖怪がいるのだと考えたほうがよほど心愉しいので、やはりもののけがいるのだと考えることにした。
もののけがいるのだ、いるのだと思って生活していたある夜に、床の上を静かに動くものを見た。目を凝らして見てみると、青白い月明かりをうけて脚の細くて長い大きな蜘蛛がすっすっと歩いていた。
まぁあいつはきっと妖怪だからしかたがないなと思ってそのまま寝たので、きっとこの家には蜘蛛妖怪がスプーンやなんかの道具を用いての文明的生活というのをいまでも営んでいるはずである。
営む分にはかまわないが、そのうち増長して家主が食われちゃったらどうしよう。そのときは人間さまの尊厳をかけて戦おうと決めてはいるが、どうも勝てる気がしない。
そんな妄想ばかりして明け暮れをすごしているので、部屋がいっかな片付かない。片付かないので物はなくなりつづけ、部屋の死角は増えつづけるばかりだ。そのうち本当に食われて家をのっとられるかもしれない。
さて、うちのかわいいパソ子ちゃんが、帰ってきました。
帰ってきたものの汚らわしい犬子データをきれいすっぱり洗い流してのご帰還です。
なにも覚えてないらしく、ホームページのデータはもとより、フォトショップまで影も形もございまぜん。
カカイル高校生パラレルをめずらしく一生懸命かいていたところなので、すこしかなしい。(銀土サイトなのに)
2009.08.10 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
時刻表を手にしてぬらぬら笑うようになってしまった。
ずいぶん昔に死んだ父も同じように時刻表を手にして笑う人であった。
わたしは父から気質も性格も嗜好もまったくなにも受け継がなかった。どこで遺伝子が混乱したのだろうというほどに、わたしに父の面影はない。唯一外観だけが似ていたのだが、長ずるにしたがいかけ離れたものになってしまった。成長とともにわたしは父との類似を一つ一つ喪失していったわけだが、父の痕跡がすべて消えてしまったかにみえた今頃になって、時刻表を見てぬらぬら笑うという癖がでた。
どうもこのごろ磨崖仏が見たくてしかたないのだ。しかたがないので時刻表でルートを調べて指でなぞって心をみたす。母に話したら「お父さんに似てきたね」と言われたが、父が磨崖仏を思って時刻表に笑いかけていたかというのは永遠の謎である。
さて、パソコンの修理屋さんから電話がかかってきてハードがいかれていますということでした。
わたしにバックアップをとっておくという賢明さなぞあるはずがなく、あったらきっともっと賢く世を渡っているはずで、つまり『裸のランチ』は瀕死です。今度サイトをつくるときは『瀕死のランチ』にしようと思う。
しかし、どうするかな。
2009.07.30 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
ゴキブリが出現しまして。
発見したとき死にかけていたため放置していたら、好奇心旺盛な奴らしく我がもの顔で天井など闊歩し始めた。
壁紙が白いのでとても目立つ。
あまりに頭が飛んでいたので捕獲、撲滅するのがめんどくさく共存の道を探してみた。
彼が網翅目ゴキブリ科の由緒正しきゴキブリでなければどうか。彼が美しい羽根をもつゴマダラオオカミキリであったならどうか、彼がクロスジアゲハだったらどうか。彼ら彼女らたちとなら共存はやぶさかではない。虫も一個の魂だ。尊ぶべき生命だ。余力があるなら単純に虐殺などという野蛮な手段に訴えるべきではないだろう。
万物愛に満ちて白壁をながむれば、そこには懸命に生きる生命。黒光りする姿態に高速で動くトゲトゲしくたくましい六本足、予測不能なジグザグ走行およびビンビンたる触角。
ホウ酸団子を撒きまくって、いたかもしれない子子孫孫まで根絶やしにしてしまった。
どうも彼らはその容姿ゆえに損をしている気がしてならない。
さて、本題。
このたび私のパソコンが壊れました。
御用の方は直接ケータイにお願いします。
2009.07.10 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
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