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2025.01.11 |

生きながらブルースに葬られ

 家でだらだらしていると、ぷーぷーぷーと何度も車のクラクションが聞こえる。そんなのがよくあって、近所に異常にキレやすい人でも住んでんじゃないのかと思っていたのだけどそうではなくて、近くに葬儀場があった。あの車のクラクションは死んだ人が火葬場に向かうときの音だった。
 クラクションを鳴らす習慣は、もとは葬式を家でしていた頃、死んだ人の入った棺を家から担ぎ出すときに、お茶碗を割ったなごりであるらしい。国葬で儀仗兵の吹き鳴らすファンファーレとはまったく別のところからきている。
 田舎のじいさんがこのあいだ死んで、葬式があった。四国の田舎だからそれなりに儀式があって、じいさんは生前愛用していた茶碗を割られ、白木の棺桶のふたは家族が石でもって釘をうちつけ閉じていく。火葬場に向かう前にその棺は親族の男たちに担がれて、西向きに三度半くるくるとまわされた。
 森に捨てられる前に、ヘンゼルとグレーテルは山の中をむやみやたらと連れまわされたのだったかと、それを見ながら思った。嫌だなぁと思った。それらの儀式はみな「お前は死んだんだから、もう帰ってきてはいけないよ」と帰り道を断ち切るためのものに見えた。まるで死んだ人がこの世に未練たらたらであるようでないか。わたしが死んだらこんなことされるのはまっぴらだな、と思った。未練なんてあるものか。死ぬぐらい、きっちり一人で死にきってみせるわ。きっちり生きて、きっちり死ぬのだ。なだめられたり、帰り道をふさがれたりして、極楽浄土に行くことを強いられるなら、無理に現世に居座って悪霊になるほうが何ぼかましだ。
 わたしは死んだら、ただ焼いて、骨は海に撒いてほしい。ジャニス・ジョプリンは太平洋に骨を撒いていくれと言っていて、27歳のときタバコを買ったお釣りの4ドル50セントを握りしめてホテルの部屋でひとりで死んだ。それで、その言葉のとおり今は海の藻屑だ。藻屑。藻屑っていい言葉だとおもう。なんか色気がある。べつに、わたしは海のゴミでもなんでもいいのだけれど。そのうちに藻屑も糞もなくなって、やがてすべてに還るだろう。
 わたしはジャニス・ジョプリンほどバランスが悪いわけでもロックでもないから、たぶん60歳ぐらいまでは生きると思う。生きて、やることをやって、疲れ果てたように死んで、そしたら白い骨が粉になるまでよくよく焼いて、わたしをただ海に撒いてほしい。

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2010.03.06 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

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