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犬も歩けば穴に落ちる
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やってしまった。と、思うことがある。 わたしの場合それは”言ってしまった”のケースが断然多いのだが、とにかくしまった、しまった、しまったである。
そんなつもりなかったのに、やってしまう。そんなこと思ってもなかったのに、言ってしまう。
しまった、しまったと思いながら、けれどどうして思ってもみないことが口から出るだろうか。多分、ほんとは心のどこかで思ってるから、出るんだろう。
「そんなつもりなかったの」とか、そういうのはずるいような気がする。確かに、言葉や行為、外界に表されたものは、相手の受け取り方しだいで、本人の意思を裏切りながら一人歩きしていくことがままある。けどそれもみんなひっくるめて、自分のものだ。相手に誤解させるような関係性しかつくれなかったことを含めて、みんなすべて、自分に還る。
キャンパスでたまたまあった友人は、べたべたしていた。べたべたとわたしに寄りかかってきて、わたしがそれを受け入れるのを、あたりまえであると思っているようだった。滝のようなおしゃべりに、げんなりして別れて、考えた。なんで彼女がわたしをそんな風にあつかうのか考えて、それはわたしがさみしかったからだと思った。そのころわたしはさみしかったから、彼女の依存が心地よかったのだ。それで際限なく、むさぼるように彼女を受け入れたのだった。
イチョウの葉っぱを踏みつけながら、ごめんなさいだなぁと思った。ぐりぐりと踏みつけつづけたら、イチョウの葉っぱは引き攣れるように維管束にそって裂けた。
売り言葉も、買い言葉も、その場限りの言い訳も。目交ぜまでもが、みなわたしの欲望と深くつながりながら生み出される。「そんなつもりなかったの」と、いえることなど、何一つないのだ。わたしはわたしでしかなく、思い描いた”本当の”わたしはあまりに遠い。
「そんなつもりなかった」という時の、現実と想定の落差は、”本当の自分”と事実としての自分の落差か。そんなものか、そんなものか、で受け入れられるといいのにと、”そんなはずかなかった”失敗に、悶絶しながら考えた。
>風見さま
なんと。拍手ありがとうございます。はげみになっておりますともー。
実はいま、自宅のパソをがネットに接続できておらず、大学のパソで日記だけ書いているというなさけない状態であります。
リンクありがとうございました。自宅のネット環境が回復しましたら、お邪魔させてもらいます。
2009.12.02 | Comments(1) | Trackback() | 未選択
最近ニートに似てる名前の哲学者の本読んだわ。
自分はいろんな欲求へのせめぎあいからできていて、そのバランスで自己決定に見えるものをしているんだって。
あんまり本当の自分と行う自分の差がない人は、その欲求が常に制御されてるか、一定方向に向かって動いているのを感じる。
何よりも割り切り方がすごい。
でも、そういう人たまに怖い。
2009-12-07 月 13:19:09 | | taikun #5ce672bd58 [ 編集]
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