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2025.01.12 |

マディソン郡の砲車台

 今日、梅田を歩いていたら阿修羅にあった。会ったというよりはすれ違ったというほうがただしく、阿修羅はジャンカラの制服を着て不機嫌そうに前髪をいじっていた。びっくりしてじっと見つめてしまったが、阿修羅は気づかぬふうで眉根をよせたまま行ってしまった。まったくもって阿修羅であった。

 東京にでたおりに、時間があいたので渋谷の109というところに行ってみた。エスカレーターで上の階に上がるたびに、右回りに一周し、またエスカレーターにのる。いきのいい若者たちが若さを発散させるエネルギー巨塔みたいなものを想像していたのだが、109のひとびとはバビロン捕囚のユダヤ人のように疲れて不機嫌そうに見えた。かれらの口元は抵抗を示すかのようにへの字にむすばれているか、あるいはなまずのように茫漠と開かれているかのどちらかだ。顔の中ほどの丸い穴は、老人ホームのばあさんがベットの上でぽかんあけた口と同じように薄暗らかった。若いというのは、思っていた以上に重たいことなのかもしれない。

 喫茶店でだらだらとマンガを読んでいたら、となりに一組のじいさんが来て喧々諤々の議論をはじめた。「谷垣さん、谷垣さん」といかにも親しげにいっているから、会社のひとのことかと思えば、自民党総裁の「谷垣さん」だったらしい。彼らはまるで自らが国家をうごかしているかのように、与党の人事を責め、国土交通省をこき下ろし、厚生労働省の年金問題を擁護していた。おたくの「庵野さん」や「押井さん」といっしょだなと思った。こんな政治の語られ方があったのかと、いたく感動した。
 彼らは近頃のわかものがなっとらんとたいそうご立腹であったが、たぶん自分たちが若い頃には年寄りは時代遅れで頭が固くてたちが悪いと思っていたことだろうと思う。

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2009.11.01 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

やさしいあなたとわたしの不一致

 遠くへ行く前の日というのは、何故か寝られないものだと思って、何でかと考えたら、単に準備も部屋掃除も終わってないからだという発見をした。
 台風が来るからはやめに帰省せよと命じられたはいいが、脳みそは三日後を想定していたので、なんとなく混乱した。混乱ついでにタイ風グリーンカレーを突貫でつくったら、見事にまずくてこの世のものとは思われなかった。
 適当につくったものは、適当な味しかしないという教訓。けれど今回は適当どころか直感でつくったんで、直感でつくったものは直感な味しかしないということで、そうか、わたしの直感はまずいのか。
 まずいグリーンカレーなんかつくったから、部屋は片付かないまま、荷物は詰まらないままで、時間だけが取り返しのつかないぐらいたってしまった。後悔、というのは後につなげねば意味がないわけで、いまだに進歩なく、今日も今日とて眠れぬわたしは、実は掃除をせぬことをさほど後悔していないらしい。
 うちの母親はなぜか旅行に行く直前になると、便所掃除をはじめた。旅行の前は家中をぴかぴかにした。身じまいのよい人であった。娘のわたしは、いつも徹夜したあげく、めんどくさくなってそのまま出て行く。
 母は旅行から帰ってきたときに家がきれいだとうれしいと言って掃除をし、わたしは帰ったらまた旅行に行く前と同じ生活をくりかえすのだからとなにもしない。
 どちらの方が帰るということに執着しているかは謎である。

2009.10.07 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

春はバーバリーのコートに乗って

 いやでいやでしかたなっかので、のらりくらりと避けていた人たちとの義理飲みがまとめてきてしまった。結構な回数はいっていて、行くたびに厄をもらう。
 「犬子ちゃんはそんなに悩まなくていいのよ!わたしがいるんだから安心して!」
と、さほど親しいとも思えぬひとに言われて、ぞっとする。
 わたしの存在をまるまる背負う覚悟もないくせに、なんでこんなことを言うんだろうか。そもそも、「わたしがいるからあなたは悩まなくていいのよ!」っていうのは、わたしという人格に対するひどい侮辱じゃないんだろうか。
 人生のいちばん重要でおいしいところを、なぜ他者にゆだねにゃならんのだ。
 わたしはわたし、あなたはあなた、で、それぞれが精一杯やってなんとかまっとうするのが人生というものだというのに、彼女はわたしの人生を自分が片手間でどうこうしてやれるほど甘っちょろいものだと思ったのだろうか。
 別れしな、急に抱きしめられてそういわれて、とっさになに言われたのかわかんなかったのと、酔っ払ってたので「はぁ、ありがとうございます」とか、にっこり笑っていってしまった。
 駅のホームで電車を待ちながら、ん?おかしいんじゃないかとやっと気がついて、くやしさにぐにりぐにりと身を捩りながら家に帰った。
 この一連の厄の恐ろしいところは、精神的ダメージのみならず物理的肉体的弊害があることだ。運が悪いのか、体調が悪いのか、それとも頭が悪いのか。次の日には必ず食中毒に似た症状で寝込む。もう本当に食中毒かもしれないが、だとしたらすごいヒット率だ。
 前々回は翌朝から吐きまくり、衰弱しすぎてもうすこしで点滴をうたれるとこだった。前回はひどい腹痛で体が動かせず、ベットの上で一日中うつらうつらとひどい悪夢を見つづけた。
 しかしそれぞれの飲みは全部なんのつながりもないひとたちで、なのに揃いもそろって厄をぶつけてくるあたり、もしかしたらわたしは厄年かなんかなのかもしれない。運気の低迷時はからだを低くして、ひっそりと家にこもって厄災をやりすごすのが一番なのだけれど、昨今は『物忌み』がお断りの理由にはならないので現代の文明生活というのは不便だなと思う。
 

2009.09.24 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

共鳴する内臓という機能

 どうにも厄をもらってきた気がしてならない。
 一昨日の飲みより、あたまの芯のところがわやわやとして落ち着かない。生まれたばかりの赤剥けの二十日鼠が小さい脚でもって大脳皮質のあたりをぺたぺた叩きながら、永劫回帰をめざすかのようにぐるぐると円環運動しているようだ。

 居酒屋の二階でさしむかいになって飲みながら、彼は「なんかおもしろいことないかな」と何遍も言った。引退したはずの部活に顔を出して後輩をおちょくるはなしや、研究室の先生がガタイのいいスペイン人留学生におびえてるはなしなんかの間に、「なんかおもしろいことないかな」「なんかおもしろいことないかな」が、いつまでも顔を出しつづける。 皇室の手の振り方に詳しい後輩や、院試に受かったことというのは、彼にとっておもしろいことにはならないのだろうか。ずいぶんとたいへんな人である。壁にもたれ、こころもち顎をうわむけて低い飲み屋の天井を仰ぎながら「あっちにいっても、こっちにいっても、どうせめんどくさい事ばかりだ」とアメーバのように体をぐにゃぐにゃさせながら彼は言った。それからやはり「なんかおもしろいことないかな」とも言った。
 「なんか、おもしろいことは、自分から動かないと、やっぱりないんじゃないんでしょうか」
 「それは、おっくうだ」
 わたしの提案を即座に却下すると、彼はまた「なんかおもしろいことないかな」「なんかおもしろいことないかな」をぐるぐると繰り返した。「なんかおもしろいことないかな」が繰り返されるたびに、わたしのなかにねっとりと疲労のようなものがたまってゆくようであった。わたしはそのうちに、なにか別の生き物を相手にしているのかもしれないという気がしてきた。人では無論あるわけがなく、動物にしては存在の温みがちがいすぎる。しかし魚にしては明晰さに欠けるので、ああこれは虫ではないかと思った。
 蟋蟀や鈴虫にくらべれば優雅さには欠けるものの、それがまぁ、鳴き声であるならばいたしかたあるまい。存在の本質にかかわるところのものを非難するのはあまりに無粋だ。蝉がミーンミーンとなくのはそういうふうにできているからで、これにりーりーと鳴けというのは野暮である。彼が虫である以上、鳴き声に文句を言ってもはじまらない。
 「あはは」「へー」「すごーい」という臨時の鳴き声を使って、わたしは虫とご唱和してみた。さほど楽しくはなかった。やはりわたしは鳴くようにはできていないらしい。
 虫と別れるとき、鳴き声の延長で「そのうち機会があったらまた」というと、虫はこのときばかり人間のような声を出して「ないかもしれないけどね」と言って器用に自転車をあやつり行ってしまった。
 
 おそらく、そのときもらった厄がまだ残っているのだ。けれども相手がほんとうに虫であったなら、厄をもらうことはないかと思われる。ここで考えられるのは、彼が実は虫ではなかったか(人間のぶーぶーだけが厄をうつすことができる)、軽はずみにわたしが異種の生き物をまねたので罰があたったのかどっちかだろう。
 しばらくまえに会ったとき、彼は虫には見えなかった。もしかしたら彼は人から虫への変態の途中であったのかもしれない。だから、こう、微妙に厄がわたしに届いたのかもしれない。しかし、前に話したときは、虫になりそうな人には見えなかった。なにか虫にならざるおえないような、つらい事情があったのかもしれない。それを思うとすこしかなしいような気がする。

2009.09.18 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

ブコウスキーは泣いたとさ

昨日ベットの上でうだうだ本をよんでいたら、突如として蚊の猛攻を受け、このままじゃ血を吸われ尽くす!と思って必死に戦ってたたき潰した。
けど、たたき潰された蚊が手のひらに、腹が裂けてでてきたわたしの血といっしょに張りついているのを見ていたら、わたしが血を吸われたという事象の価値がいまここで喪失したのだという気分になって、なんとなく後悔しました。

マンガの文体も、小説の文体も、日記の文体も、論文の文体も、全部こう納得行かなくてキーってなります。むかし「やけに理想が高いところが『こころ』のKに似てるね」って国語の先生に言われた事があった気がする。喧嘩うっとたんかしらん。わたしは『せんせい』の方が好きです。萌えが感ぜらるる。
書き方とかころころ変わって気持ち悪いですね。けどほら、万物は流転するし。
そもそも論文ってどうやって書くの?書けばいいの?

助教授→教授にランクアップしたマイティーチャーと何回目かの面談。
先生が「さぁ、君のはなしを聞いてあげるよ!」モードだったのに、寝てばっかりいるからはなすことがなくって困った。
苦し紛れに「飢餓状態における長期睡眠について」ここ最近の生活をもとにはなしてみたら、「犬子さん、ごはんはちゃんと食べようね」ってことで終わった。
ずっとわたしが探してた資料を「じつは家にありました」ってかしてくれたけど、原版そのまま韓国語だった。一体どうすればいいんだろうか。

2009.09.13 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

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