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2025.01.12 |

共鳴する内臓という機能

 どうにも厄をもらってきた気がしてならない。
 一昨日の飲みより、あたまの芯のところがわやわやとして落ち着かない。生まれたばかりの赤剥けの二十日鼠が小さい脚でもって大脳皮質のあたりをぺたぺた叩きながら、永劫回帰をめざすかのようにぐるぐると円環運動しているようだ。

 居酒屋の二階でさしむかいになって飲みながら、彼は「なんかおもしろいことないかな」と何遍も言った。引退したはずの部活に顔を出して後輩をおちょくるはなしや、研究室の先生がガタイのいいスペイン人留学生におびえてるはなしなんかの間に、「なんかおもしろいことないかな」「なんかおもしろいことないかな」が、いつまでも顔を出しつづける。 皇室の手の振り方に詳しい後輩や、院試に受かったことというのは、彼にとっておもしろいことにはならないのだろうか。ずいぶんとたいへんな人である。壁にもたれ、こころもち顎をうわむけて低い飲み屋の天井を仰ぎながら「あっちにいっても、こっちにいっても、どうせめんどくさい事ばかりだ」とアメーバのように体をぐにゃぐにゃさせながら彼は言った。それからやはり「なんかおもしろいことないかな」とも言った。
 「なんか、おもしろいことは、自分から動かないと、やっぱりないんじゃないんでしょうか」
 「それは、おっくうだ」
 わたしの提案を即座に却下すると、彼はまた「なんかおもしろいことないかな」「なんかおもしろいことないかな」をぐるぐると繰り返した。「なんかおもしろいことないかな」が繰り返されるたびに、わたしのなかにねっとりと疲労のようなものがたまってゆくようであった。わたしはそのうちに、なにか別の生き物を相手にしているのかもしれないという気がしてきた。人では無論あるわけがなく、動物にしては存在の温みがちがいすぎる。しかし魚にしては明晰さに欠けるので、ああこれは虫ではないかと思った。
 蟋蟀や鈴虫にくらべれば優雅さには欠けるものの、それがまぁ、鳴き声であるならばいたしかたあるまい。存在の本質にかかわるところのものを非難するのはあまりに無粋だ。蝉がミーンミーンとなくのはそういうふうにできているからで、これにりーりーと鳴けというのは野暮である。彼が虫である以上、鳴き声に文句を言ってもはじまらない。
 「あはは」「へー」「すごーい」という臨時の鳴き声を使って、わたしは虫とご唱和してみた。さほど楽しくはなかった。やはりわたしは鳴くようにはできていないらしい。
 虫と別れるとき、鳴き声の延長で「そのうち機会があったらまた」というと、虫はこのときばかり人間のような声を出して「ないかもしれないけどね」と言って器用に自転車をあやつり行ってしまった。
 
 おそらく、そのときもらった厄がまだ残っているのだ。けれども相手がほんとうに虫であったなら、厄をもらうことはないかと思われる。ここで考えられるのは、彼が実は虫ではなかったか(人間のぶーぶーだけが厄をうつすことができる)、軽はずみにわたしが異種の生き物をまねたので罰があたったのかどっちかだろう。
 しばらくまえに会ったとき、彼は虫には見えなかった。もしかしたら彼は人から虫への変態の途中であったのかもしれない。だから、こう、微妙に厄がわたしに届いたのかもしれない。しかし、前に話したときは、虫になりそうな人には見えなかった。なにか虫にならざるおえないような、つらい事情があったのかもしれない。それを思うとすこしかなしいような気がする。

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2009.09.18 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

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