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2025.01.12 |

なんとなく凄いような気がするヒトラーの演説

 もともとファーストフードはあまり好きなほうではなかったが、最近、病的なほどに既製品を受け付けなくなってしまった。
 カップラーメンを食えば腹を下す。スーパーの弁当やコンビニおにぎりは気持ち悪くて食べきれない。どうもあの、人工的なとんがった味付けが駄目らしい。ついに学食すら無理になってしまい、しかたがないので今では弁当を自作している。弁当。
 料理好きでも、倹約家でも、恋人がいるわけでもないのに、弁当を作る人がいるというのは、ちょっと想定していなかった。上記の理由で市販の菓子が食べられないので、実はクッキーなんかも自作していたりする。
 料理好きでも、恋人が居るわけでも、誰にプレゼントするわけでもないのにクッキーを作る女。
 世の中にはいろんな、わたしなんぞに計り知れない事情で生きている人がいるものであるなぁと、わがことながら世界がひろがったような気分である。
 

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2009.11.20 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

ショッカーの悲哀とライダーの驕慢

 友だちとカラオケに行った。実はひっそり洋楽好きであるのだけれど、ただでさえ音感ないうえに英語が苦手なものだから、歌おうとするとたいそう聞き苦しく、惨めなかんじになる。だけど好きだから、やっぱり歌ってみたくて、曲いれてはじめのほうだけちょっと歌って、うわー無理!ちょう無理!!ごめん!!とか言いいながら、中途半端に止めてしまう。そういうようなことをずっとしていた。今回もまったく全然、歌にはなってなかったのだけど、まあいいかなーって思って、むりぐり最後まで歌った。一曲、歌いとおしたら、もういいではないかという気持ちになって、調子に乗って同じように4曲ぐらい歌った。だからどうしたと言われたら、どうもしはしないけど、個人的にすごくうれしかったはなし。
 


>11月13日に拍手をくだすったお方

 わーわーどうしよう、どうしよう!って、うれしさのあまり悶えてたら、お返事おそくなりました。あいすみませぬ。
 もともと、わたしもふとん虫属性というか、いろんなことが自分の中にたまってくると、どうにもならなくなって動けなくなるという、そういう種類のいきものです。人から、割り切れとか、あんまり考えるなと言われても、わたしにはどうもできませんでした。自分はなんてなさけなく弱いんだろうと、ほかの人がふつうにできていることがなんで自分にはできないんだろうと、そう思って頭を抱えながら、ぐにりぐにりと生きてきました。
 ここの日記にこんなことを場違いながら書きはじめたのも、なんだ、みんなその延長でじゃないかと、いま考えると思います。自分のなかにたまりにたまって吐きだせないでいる、さみしさや悲しさや、違和感みたいなものを、文字にして外に出せばすこしは楽になるかしらんと、そういうふうにして書き始めました。
 そんな、こう、そういうもんが、わたしの抱えてきた重荷のようなものが、どっかで誰かの、役にたつことがあるのだなー、それを誰かが楽しみにしてくれることがあるんだなーというのが、ふしぎなような、たまらなくうれしくあるような、そういう気分です。ありがとうございました。言葉にしてつたえてくれた、あなたのやさしさ(男気?)に感謝します。
 重たかったり、軽かったり、適当だったり、逃げてたり、居直ってたり。犬道はふらふらしてるかとおもいますが、それでもどっかであなたのお役にちょびっとでも立ててれば幸せだなぁと思います。  犬子拝

2009.11.19 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

ジョージ・W・ブッシュの始球式

 なんとなくたまらない日で、たまらなかったから何もしなかった。
 なにが悪いわけでも、なにが苦しいわけでもないのに、たまらない日だった。部屋の四方の白い壁が、おしせまり、おしつぶしにくるような日だった。
 映画でも見て気分転換しようかと思ったが、映画そのものがおそろしいような気がしてやめてしまった。弱っているなぁと思うときがある。そういうときは、道の電柱にも、雑草にも、雨粒にも、箸にもお茶碗にも。なにもかもに負けてしまう。敏感肌の赤ん坊が、下穿きのゴムにかぶれるように、存在が存在にせり負けていく。そんな気がする。
 個人的な解決法として、そんな日はご飯をたべればいいと思う。たくさん食べて、自分の密度を上げてしまえば、なんとかなるような気がする。だから食べようとしたけれど、今日はご飯にも負けてしまう気がして、部屋でいちばん暖かい、小さな電気ストーブの前で茶色い毛布にくるまって過ごした。
 ターンタタタターン、タタンタタタターン、という出だしだけ覚えているカーペンターズの歌が聞きたくて、ぐるぐるとyoutubeのなかを探した。見つけたのは”sing”という歌で、やさしい真綿のような歌声でカレン・カーペンターが『シンプルにしてしまいましょう 長い人生の間じゅうただつづけていくために だれがつまらないと言ったって、気にすることはないのだわ』と歌っていた。そういえばこのひとは、拒食症で死んでしまったのだと思った。
 なんでそんなことを知っているのかと考えたら、わたしが小学生のころ、母親がこの曲をかけながらそう言っていたのだということを思い出した。そのときこの曲を聞いたから、今でも覚えているのだった。
 母親からそう聞いたとき、当時のわたしは、そういうものかと思った。今のわたしは、そんなものかもしれないと思った。

2009.11.17 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

夏から秋にかけての生息がみとめられます

 変わっているのと、はみ出しているのは違う。わたしはどちらかというと変わっている系というよりは、はみ出してしまう系だから、困っているのだと思う。
 錯乱ついでに行ってきた某デザイン専門学校の職員のひとに「だからあなたは、自分が変わった存在でいたいんでしょ?」と言われた。首をへし折ってやろうかと思った。しょせん、『変わっている系』には、不可抗力としてはみ出していってしまう『はみ出し系』の悲哀はわかるまい。
 
 「恋愛をしなさいよ」と、変わってる系代表のようなアートなおねーさまに言われたことがある。いやーけど、そんなに男に夢中になれなくて。おねーさんみたいに、一目ぼれで、とかもしたことないなぁ。たはははと笑うと、「それはあなたが精一杯生きていないからよ」と言われた。彫りの深いきれいなおねーさんの顔の皮膚が一枚、片頬でめくれあがり、歪んだ。
 あじさいが、精いっぱい咲くのだって、あたし十分尊いことだと思うわ。よく、若い子に、おねーさんみたいに生きるにはどうしたらいいですかって、聞かれるの。けどね、わたしは、やめておきなさいって言うの。だってわたしは本当に変わっていて、だから、こういう風に生きているだけで、真似したって無駄なことだわ。
 そう言っておねーさんは、妖艶ににゅうっと赤い唇をのばして笑った。
 彼女のように生きたいと、思ったことはなかった。ただわたしは、生きられるところで、生きていたいだけだった。
 
 だから、世のほとんどの人が犬だとして、どうせ『変わってる系』なんて、『毛並みの変わった犬』にすぎないんですよ。それで『はみ出しちゃう系』のひとは、蝸牛とか、バッタとか、なんかそういう犬とは別種のいきものなんすよ。だからバッタが犬に「肉を食え!ちゃんと肉を食わないなんて、生きようとしてない証拠だ!」なんて言われても、どうしょうもないんですよ。だってこっちはバッタだし。むこうなんて、ちょっとばかし変わってたって、しょせんは犬じゃぁないですかぁ。犬のくせに。犬のくせに。
 オムライスを食い、バナナジュースを飲みながら、先輩にそう管を巻くと、そうだねぇと先輩は笑ってくれた。おそらく、わたしはバッタで先輩はウマオイだった。緑色した、ほっそりきれいな夏の虫だった。




>>11月4日に拍手をくだすったお方

うわー。うわー。と、うれしくて顔のにやにやがとまりませんでした。
ちょっと、同人サイトの日記としてはどーなんですかこれーっと、自分でも思わぬこともないのですが、おほめくださり、喜びのでんぐりがえりをいたさんとする次第でありました。

2009.11.12 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

靴擦れの傷の赤さよ、かかとにマーキュロ

 仲がいいと周囲に思われており、表面的には気が合うふりをしているが、ぶっちゃけていえば嫌いな先輩がいた。
 彼は「おまえは若いなぁ」が口癖で、坂口安吾のように生きたいと言うくせに、自分の分が悪いことには直接ぶつかるということをせず、いつも上からの目線でニヒリスティックな発言ばかりをしていた。わたしが耐えかねてそのことを指摘すればやっぱり「おまえは若いから」と言われ、直言は迂回路をとおった無数の皮肉でかえされた。そうやって「お前は若いなぁ」といいながら、なんとか自分の優位を保とうとする。そういう弱くて、やさしいひとだった。
 わたしは「若いなぁ」「若いなぁ」といわれながら、腐れ縁でうだうだと交流を持っていたのだが、このたび本格的に地雷を踏まれて絶縁状をたたきつけた。「もうお前のえせ人格者っぷりにはうんざりだぜ!」とがっつりメールに書いてやり、ああ、すっきりしたと、こころ穏やかに日々を送っていた。
 送っていたが、就活セミナーの帰り道、わたしは表面上だったりぶっちゃけて言ってしまいたいことができるほど、いろんな気持ちをその人に抱いていたのだということにハタと気がついた。愛の反対が無関心だという、キリスト教の教えは思いのほか的を得たものなのかもしれない。すくなくとも、そんなややこしいおもいをするくらいには、その人が好きだったということなんだろうと、慣れない黒いヒールの上でゆらゆらと揺れながら思った。
 今日、家に帰ると先輩からメールがきていた。

 「あなたはかわいい後輩ですから、腹なんかたてませんよ」

 やっぱり嫌いだと思った。

2009.11.11 | Comments(0) | Trackback() | 未選択

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