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犬も歩けば穴に落ちる
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がんばって言葉は嫌いだけどとか、気づいてあげられなくてごめんねとか、わたしがいるからとか、すごーいじゃないそれだって才能だよ!とか。そういうステレオタイプな発言があまり好きではなく、かなり好きではなく、むしろ嫌いで、そういう言葉を使う人々をこっそり侮蔑軽蔑していたのだけど、しんどかったりめんどくさかったりすると、あー自分も使ってるんだなーということに今更ながら気がつく。
ひとびとはなんであんなにつまんないことを臆面もなく一本調子で言うんかなー、謎だなーと思っていたが、多分それはいろんなことがめんどくさいからなんだろう。慣用句というのは口当たりがよくて、さらさらしているから楽チンなのだ。自分の頭で考えなくていいから悩む必要はないし、前例がたくさんあるから反発されるおそれもなく、自分の真からの意見でないから否定されたところで自身が傷つくこともない。
よくある言葉というのは、省エネで世の中を渡っていこうとしたらとっても便利なものだ。するりするりとひっかかりなく世の中を上手にすり抜けていける。
自分の言葉でしゃべりなさい、というのはよくいわれることであるけれど、あれはけっこうむごい要求じゃあないか。そこでしゃべった”自分の”言葉というのが、社会の言葉から逸脱していたりしている可能性をまったく想定していない。その発言の異端性ゆえに、そのせいで迫害されてしまったりするような可能性をまるで勘案していない。
受け入れる覚悟もないくせに、そんなこと不用意に口に出すんじゃないよと言いたいような気もするが、そんな慣例句を口にする方々というのは、やっぱり上記の社会文法を完全に内面化しておられる方々で、だから「本気で話そう!」などという、恐れ知らずな発言が出てくるのでしょう。それで、彼らの秩序の外にある言葉がふっと飛び出してきたときに、あわててひどく拒絶するのでしょう。
先日、お茶したわたしによく似た人は「わたししゃべりすぎてない?うざくない?」となんども聞いた。多分、本人も気がついていないんじゃないだろうかというほど、ふと間が空くと、反射のようにそう言った。このひとはいつから自分のことを語ることに怯えるようになったのだろうと思ったら、たまらないような気持ちになった。
2009.11.07 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
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