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犬も歩けば穴に落ちる
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商店街でネギを買っていたら、ゴジラのような咆哮が聞こえた。何事かと思ってみてみたら、四歳児ぐらいの男の子が大きな泣き声をあげながら、父親と思しき男の人に突進するところだった。父親は、なじみの店主と立ち話でもしていたらしい。急に飛び込んできた子どもを見ると、あわてて抱き上げて、よしよしというふうに揺すった。子どもを自分の顔が見える位置までもってきて、男の子の顔をのぞきこみながら揺すった。男の子は父親のほっぺたをぺちぺちとさわりながら、うぇうぇっとむせるようにいつまでもしゃくりあげている。
いいなぁ、と思った。あんなふうに抱きとめてもらったら、さぞ安心するだろう。
全身全霊でおめきながら、誰かに自分のことを気づいてもらおうとしたことなんか、なかった気がする。ものごころつく前は知らないけれど、夜泣きの少ない、わがままを言わぬ子ではあったらしい。逆に弟はオレさま帝王のきかん気のつよいこで、気に入らぬことがあるとずいぶんとぐずったり、暴れたり、泣いたりした。3つ年上のわたしはそれを、別世界のできごとのようにながめていた。とくに嫉妬もせず、こういう生き物もいるのだなぁと、思って見ていたような気がする。いま思うと、もうちっとぐらい、わがままを言っておけばよかった気がする。
そういうふうに、全身で誰かを呼ぶことができて、容易に全ての存在肯定をしてもらえる時期ってのはちいさな子どもの頃ぐらいしかないように思う。惜しいことをしたような気がするが、もう一度こどもをやらせてもらったところで、結局そんなことをやらないまに終わるかもしれない。
恋愛でも何でも、いまでも本当にしたいんだったら、そうやって誰かを求めればいいのだ。実も世もなく、泣いて泣いて求めればいいのだ。けどそれをしないのは、結局のところそういうのが、そこまではやりたくないからなんだろう。
高校のとき、現代文を教えてくれていたガタイのいい禿頭の先生に「おまえは『こころ』にでてくるKに似ている」と言われたことを思い出す。当時、断固、先生派であったわたしが訳をうかがいましょうかと食ってかかると「だって、お前。かっこわるいことしたくないだろ」といって、腹のそこから出ている大きな声でガハハハハと磊落に笑った。
今ならわかる。いまさらわかる。
なんだ。わたしは昔もいまも、思いのほかに生きたいように生きてきたらしい。Kも多分、生きたいように生きたら、自殺だったと、おそらくそれだけだ。哀れむことも、罵ることも、悔いることも。そんなことはなんら必要はなくて、ただ、それだけだなぁと思った。
2009.11.27 | Comments(0) | Trackback() | 未選択
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