『RIZE』(デヴィッド・ラシャベル)
アメリカの黒人ゲットーでクランプを踊る若者たちのドキュメンタリー。
けど貧困や暴力のドキュメンタリーじゃなくて、踊るアーティストたちのドキュメンタリー。
モノローグ一切なし。インタビューとクランプダンスのシーンだけでできてる。
「世間では彼らは持たざるものとみなされるだろう。けど僕は彼らを持てる者としてかいた。僕は彼らがうらやましかったからね。」「暴力や貧困は副次的なものだ。彼らはアーティストで僕はアートを撮った」
だっけか。うろおぼえ。ラシャベルのコメンタリーでの発言。
貧困やハンディ以外のもので差異をはかるベクトルとしてアートは燦然と存在する。すごい。
いったん極めちゃった人のおおらかさみたいなのが溢れてた。ラシャベルおいしいわ。
『ラストデイズ』(ガス・ヴァン・サント)
カート・コバーン(とおぼしきミュージシャン)の死への数日間を描いたもの。
些細な日常の集積をとおして物語をつむいでいく。肝になるセリフとか音楽とかそんなの全然ださない。ガス・ヴァン・サントは脚本なしでいくらしい。叫ぶという表現ではなく押し込めるかたちで描かれるから、強力なバネをつねに極限まで撓ませてその上でギリギリの平均を保っているよな緊張感がすごい。
『エレファント』より完成度は高かったけど、『エレファント』の透きとおったような色調のほうが私はすき。
両方とも描いてるのはどうしようもない孤独だと思うのだけれど、三十路の薬中のおっさんと、思春期の多感な少年たちとじゃ色はちがうわな。
『ブッリジ』(エリック・スティール)
自殺の名所ゴールデンゲイトブリッジでの自殺者のドキュメンタリー。まわし続けられたカメラに映った自殺の瞬間が登場することで話題になった。
で、なったわりにつまんなかった。
ドキュメンタリーには主張と抑圧という相反する要素があると思う。『何か』を現実に即して描くことを建て前とする以上、対象をより客観的に描き視聴者になるべくありのままの姿を提供するために作者の存在は『抑圧』されなければならない。だが、作者の意図で映像を選択し編集する作業がある以上、作者は常に『主張』をもつ。
どちらかに大きく比重をかけたものはたいがい面白くなる。(マイケル・ムーアとかね)
で、一番腹が立つのは、『抑圧』をつらぬいているふりして『主張』してるやつだと、私は思うの。
こそっと自分の主張を、さも私の意見じゃないけれどーみたいなカンジで言うのはやめい。おんどれの言葉じゃろ責任もたんかい。誘導尋問すんなや!って気分になります。
んでこの作品。全体から見たらいいほうなのかもしれないけど、がんばりましょう。全体的に謙虚さがほしかったです。色調くらい。というかダサい。
『鉄男』(塚本晋也)
塚本晋也監督、伝説のインディーズ作品。
サラリーマンがどんどん鉄と混じってサイボーグ化していく。
ちんこドリルしか頭にのこってない。ちんこドリル。ちんこドリル。うぃーん。
映像と特殊メイクへの異常な執念がなんとも。
『グッバイ・レーニン』(ヴォルフガング・ベッカー)
東ドイツに住む一家の話。ばりばりの社会主義者のママは、息子がデモに参加して逮捕される姿を見て心臓麻痺でぶっ倒れてしまう。そうして社会主義体制が崩壊しベルリンの壁が壊されたあと、ママは何も知らずに昏睡から目を覚ます。強いショックは命取りになると言われた息子は、東ドイツが崩壊したことをママから隠しとおそうとする。
いい話だけど、たぶんドイツでは『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいなのりでつくられた映画じゃないかと思う。
登場人物の内面の葛藤の掘り下げ方が甘い。複線(?)の投げっぱなしや細分の適当なまとめ方が目に付く。
さまざまなアイテムや、もり込まれた出来事を通しての『あの時代』への追憶といった面で、ドイツの人には受け流せる部分かもしれないけど。
けど、フツーによいおはなしです。ママがすてき。